2008년 4월 29일 화요일

[신천지] 霊的な結婚と肉的な結婚

本当に正しく分かりましょう。新天地

この内容は教会や聖徒の信仰知識のために共益的な目的で聖書を根拠として書いたものです。また、この内容は教会や聖徒たちの真信仰のため「あなたがたは、然り、然り、否、否と言いなさい」と仰せられたイエス様の御言葉(マタ5:37)を根本として書いたのです。

霊的な結婚と肉的な結婚

● 肉的な結婚
創世記2章20~24節のアダムとエバの結婚は肉と肉との結婚であった。これは神様が選び、見合わせて結んで下さった結婚だった。
イエス様はこの結婚に対して「神様が合わせられたものを人は離してはならない」と仰った。(マタ19:6、マルコ10:9)
もし、人がこの二人を分けようとするとその人は神様とイエス様とその御言葉を信じない人であろう。
● 霊的な結婚
神様はエジプトにあるイスラエルをカナンへ導かれ、「わたしは彼らの夫であったのだが、彼らはそのわたしの契約を破った」 主は仰った。(エレ31:32)
この御言葉から神様は夫でイスラエルは新婦の立場だと分かる。 神様がホセア先知に「わたしは永遠にあなたと契りを結ぶ」と預言なさった通りイエス様に来られてイエス様は神様と一つであると仰った。(ホセ2:2~20、ヨハ10:30)
このことについてパウロはガラ4章で「上なるエルサレムは、自由の女であって、わたしたちの母」とも表現した。また、神様の御霊とわたしたちの魂と一つになることを結婚なのだと仰った。

神様がイエス様に来られたのはイエス様に罪がないからだった。人の罪のせいで離れて行ってしまった(創6章)神様は罪人の中に居られることが出来なかった。この罪を解決するため、イエス様を送って、私たちの罪を変わりに購ったことで罪が解決された。私たちの罪が解決されたことで、やっと御霊がわたしたちに来られるようになった。(使2:1~4)イエス様が十字架に掛けられた理由は二つである。一つは私たちの罪を解決するためで、もう一つは罪を解決してから私たちの中に居られるためである。これは御霊とわが肉体が一つになることである。こういう内容は聖書のあちこち(ローマ8:9~11、ヨハ14:20、啓14:20、啓3:20、ガラ4:6、ガラ2:20)に約束されてある。これが新約の霊肉結婚なのだ。
出所 : http://cafe.daum.net/scjschool

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